大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

日曜の夜は

日曜の夜。この響の持つ独特な味わいというか、感覚。おそらくほとんどのサラリーマンが毎週あじわって、そして抗っていることだろう。

生きるためには働かなければならないのは、良くも悪くも否定しようがない。そして必ずやって来る日曜の夜。なぜこのような、不安感、逃避感、絶望感、その他言葉に出来ないような負の感情。

そう、行きたくない、明日会社に行きたくないのだ。

逃げられるものなら逃げたい。だから酒も飲むし、体を動かしたり、その他色々なアドバイスがそれこそ山のような情報がある。

が、しかしだ。何をしようが、どうこころを誤魔化そうが、明日という時間は必ずやってくる。その事実からどうやって逃げられるだろうか?無理だ。

怯え、恐怖し、ただ、時間に身を任せてその時を受け入れるのみ。唯一の方法は、諦めだろう。よく言えば開き直り。

結局のところ、何も出来ることはないのだ。普通の人ならば。

しかし、色々な切り口でここにも書き込んでいるが、何故にここまでして仕事に縛られて生きていかなければならないのか。この先何が起こるかはそりゃわからない。良いことがあるのか、もっと不幸がおとずれるのか。

しかし、何が起こるにせよ、「今」がいちばん大事なのだ。その今という時間が辛いと言っているんだ。どうすれば良い?

耐えて、我慢して、媚びて、今を生きていっている。よくやってるもんだと自分でも思う。実にくだらない、馬鹿馬鹿しい行為。

なら、どうする?逃げるか?でも何処へ?

行くも地獄、退くも地獄。そんな感じだ。

あと数時間したらまたあの電車に乗って、いつもの生活が始まる。この事に、なんの意味があるのだろう。この生になんの意味があるのだろう。

何もないのがわかっていながら、なお、答えを見つけたくなる衝動。ほんと生とは罰ゲームだ。