大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

リセットボタン

おそらくこのことを書くと、不謹慎だとかいう人が出てくることは想像できる。自分もそう思うが、でも考えてしまうのだ。

人生のリセットボタン。

何かと言うと、地震やその他の天災、もしくは今なら北朝鮮あたりの暴挙。こういったものが日本におこり、いや、自分に起こり、今の生活が強制的に終了する。すると今の生活ががらっと変わる。どうなるのかは正直わからない。でも、今の生活は変わる。

強制リセットだ。そう考えてしまうのは自分だけだろうか?

他力本願でもいいから、今の状況を変えたい。

変わりたい。

日本に生まれて

日本に生まれたことは、多分世界全体から見たらかなりマシな国なのはわかるつもり。しかし、この国の最大の問題は、生きていて楽しいと思えない。例えば、イタリアやスペイン、フランス、あの辺りの国々と比べると、やはり文化の成熟度の違いなのか、国民性の違いなのか、その辺りはわからないが、かの国の人達は楽しむ為に生まれて来たと考えているふしがある。その為に働いている。だから働き方も随分と違う。

日本はと言えば、苦しむ為に働き、苦しむ為に生きているとしか思えない。まあ、イタリア、スペイン辺りはあまりにも働かなすぎな気もするが。でも、それでも何とか生きている。しかも我々より遥かに幸せそうに楽しそうに。

なぜ日本はこうなってしまったんだろう。ここまでして、ここまで働いて、結果、生きることが辛い。まるで、修行の様な人生。

働き方の違いが、生き方に大きく影響していると思う。残業ありきのシステム。上記で上げた様な国では考えられない馬鹿げた事だろう。しかし、日本では当たり前の様に行われていて、労働者もそれに付き合っている現実がある。

こんな事があと何十年も繰り返されるのかと思うと、本当に今すぐにでも、人生を止めたくなる。

お金の考え方

世の中には色んな考え方をする人がいる。しっかり堅実な人。どう考えても独りよがりでなんだそりゃって人。本当に色んな人がいる。

基本的に自分は金銭的には人の世話には極力、なりたくないと考えている。

でも世の中にはそうじゃない人もいるらしい。

どこをどう計画するとそのお金を返済できるのか全く考えずに、とりあえずその場しのぎで金を借りようとする人。

本気で借りるつもりなら、業者から借りるくらいの覚悟があればまだマシだと思うけど、そうではなく、友人知人、親類縁者から、ほんわりした内容で借りようとする人。多分、そんな人は返す気はあったとしても、返せないだろう。

正直甘いのだ。甘すぎ。

自分の考えは、どんな理由があろうとも、たとえ血の繋がりがあろうがなかろうが、絶対貸さない。もし、貸すと決めたらそれはあげたのと同意。

でも、世の中にはそう考えない人が結構いるらしい。何故なんだろうか?

たぶんお金の有り難さと怖さが理解できてないんだと思う。

自立できていないのか、親から甘やかされて育ったのか。騒げばなんとかなるというような。

ま、本当の苦しみは自分でお金を稼ぐようになったらよくわかるはずだ。

お金は怖いんだ。本当に。

過去

過去。

いろいろな思いがある言葉。良い思い出、悪い思い出。しかし、悪い思い出も時間が経てばそれなりに消化出来て、何となく懐かしくも思えるから不思議だ。

自分にとっては、離婚の思い出が、人生最悪の思い出。あの頃は全てが自分の責任に思えた。でも、今ではそうは思っていない。お互いの責任だと思っている。

良い思い出は、小学校の頃。あの頃は本当に毎日が楽しかった。ただ、その当時そこまで思えていたかと言うとちょっと違う。今の方が、その思い出はキラキラして、宝物のようだ。

時間の経過は本当に不思議だ。同じ1秒が昔よりかなり早く感じる。なぜなんだろうか?

みんなそう言う。不思議なことだ。

仕事に殺されないためには

結局、仕事が自分に合っていないとか、不平不満を抱えつつ続けていると、どうしても精神的あるいは肉体的に異常が出てくる。これを我慢、甘えという考えで押し殺していると、最終的にますます仕事を辞めたくなる。しかし、辞めるのは簡単だが、そのあとどうする?と考えるのが普通な考え。

これを続けていると、どうなっていくか?

逃げたい→逃げられない→更に悩む→消えたいあるいは死にたい

と言うような、狭い視野でしか考えられなくなる。とにかくその場から逃げ出したいのだ。全てを投げ捨てて。責任やノルマ、そういったものから解放されたい一心で。

 

なぜ、こんな働き方が日本では当たり前のように行われているのだろうか?

Amazonがいい例のような気がする。そして配送業者がわれわれ労働者を表している。つまり、みんなが利便性を自分勝手に追求するあまり配送業者が泣きを見る。このAmazonと配送業者の関係が、日本の全ての会社と顧客の縮図だと思う。

利便性を自分勝手に追求した結果、最終的にはそのつけが全てのあらゆる消費者に帰って来てるのだ。

利便性を取った結果自分で自分の首を絞めている。会社がとも言えるし、あるいは自分自身が自身を苦しめている。

これはどう言うことなのか?今更利便性を捨てられるのか?

しかし、この社会であり続ける限り、苦しみからは逃れられない。

日曜の夜は

日曜の夜は、結論から言うと二択になると思う。ストレスの原因は仕事なのだから、その仕事をほっぽり出す、つまり辞めて環境を変えるか。または、仕事を続けて日曜の夜を苦しみ続けるか。この二択しか結局はないと思う。

辞める方は、とりあえず置いといて、続ける選択をした場合のことを少し。

続けると言っても、苦しいのは少しでも和らげたいものだ。その方法として、色々アドバイスはいわれている。体を動かせだの、趣味をもてだの、要は仕事以外の事に時間を使って、なるべく考えないようにするという事なのかなと。でも、結局夜の10時位になったらもう何も効かないでしょ?

今までやっていたことは、目の前に迫って来ているストレス、恐怖にどう立ち向かえるの?

無理!

結局、腹くくって酒飲んでふて寝するか、時間ギリギリまで起きていて、ネットで同じ考えの人の事を検索して安心するか。そんなとこでしょ?

極論を言えば、辞めるか、我慢するかの二択なんだ。それ以外にないと自分は言い切れる。対処法なんてものは、甘っちょろい考えで、その程度のことで吹っ切れる程度の悩みだったら、はじめから苦労しないって。

仕事が好き⁉︎

本、ネット、身の回りなどにこう言っている人達がいる。ほんとなの?が自分の本音。

自分にとっての最大のストレッサーは仕事であって、とてもではないが好きなんて真逆だ。ただ、ある時ある瞬間、達成感みたいなものを感じる時はあるが、それとこれとは別物。

では何故こう言える人がいるのだろう。比率で言えば、これは自分の感覚であって、正しいかどうかは分からないが、たぶん少数派だろう。大体の人がお金のために、仕方なく我慢してやっているというイメージだ。お金のためであって、やり甲斐やら、生き甲斐だなんて思ってはいないだろう。違うのかな?自分が少数派なのか?

しかし、本当に生きるということと、仕事の関係はとても複雑だ。人間は群れの中で生きる動物。一匹狼で生きていくことはできる人はいるのかもしれないけど、自分には無理そうだ。仕事辞めたとしたら、社会との繋がりそのものがなくなり、人との交流が途絶えてしまう気がする。ま、その後で何かしらの社会との接点となりそうなものを見つける事になるんだろうが。

人生を構成しているものは、

お金、時間、仕事、人間関係、ストレス

こんな感じかな、ざっくり言うと。