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大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

なりたい自分?

なりたい自分とかゆう言葉をよく、ネットや本で目にすると思う。要は、目標だったり夢だったりといった、そういう将来のなりたい自分みたいな事なんだろう。で、いつも思うのは自分にはそういったものが全くないという事だ。

他の人はそういったものを抱きなが生きているのだろうか?夢や希望、目標みたいなものってなんだろう?

自分の場合だと、強いていうなら今より心穏やかに生活したい。簡単な表現をするなら、朝起きた時に憂鬱な気分で起きたくない。ということは、会社に行きたくないということか。もし、憂鬱な気持ちにならずに会社に行けている人がいるならそれが自分には羨ましい。かといってなりたい、やりたい仕事も特にないのが本当のところ。今の仕事も、なぜこの仕事をここでしているのか、よくわからない。確かに自分で選択していった結果ではあるが、それ以外の力というか、ただの偶然というのか。なんなんだろう。

しかし、会社の問題が仮に全て上手くいったとして、その時本当に前述したような朝を迎えられるのだろうか?会社だけの問題か?

特に人間関係の希薄さ。孤独な将来しか思い浮かばない。人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。孤独なのはある程度当たり前。しかしながら、今までの自分の生き方、まさにそれが因果応報と言うのかな。

夢、目標、希望、探すものではなく、自分の中から湧いてくるものなんだろうな。

人生を自転車に例えてみた

人生を自転車を漕いでいる状況に例えてみよう。はじめのうちはへいたんで爽やかな風を感じながら、とても気持ちよく景色なども眺めながらゆっくり漕いでいる。

そのうち坂道登り道が現れて、でも自分の力でなんとか漕ぎながら、ぜいぜい息を切らしながらも、まだ楽しかったりもする。

ある時、後ろに異性が乗っててなんか楽しい。でも気がつくと、いつの間にか居なくなってて、道も徐々に下り道になる。

そして、ますます坂道になって来て、更にブレーキも壊れてしまう。スピードがどんどん出て来てとても怖い。でも止めるには自分から自転車を倒してとめるしかないが、確実に頭を打って死ぬのはわかってるので、怖くてそれもなかなか出来ない。

目の前には、うっすら壁があるのがなんとなくわかる。当然、このまま進めば壁に激突して一瞬で死ぬ。

と、まあこんな感じだろうか。壁に激突して死ぬのが実際の人生では普通の死に方。所謂運命の死に方。病死、事故死、死に方は今はわからないが、頑張って生きて、そして死んでいく。

怖さに負けて、自分で自転車を倒して止めるのが自殺。スピードがでて怖くて怖くて、逃げたくて…。

自転車を漕いでいる時には、楽しかったり、怖かったり、様々な感情が湧いてくる。でも、自転車は最後には2つの止め方しかない。

自分はどうやって止めようか。

ジャイアン

のび太にとっての最大の悩み、ストレス源はジャイアンかもしれない。マンガの話の中にそのジャイアンを消してしまうという、存在自体無かったことにしてしまう話がある。で、どうなるかというと、本当にドラえもんは大人のための話だなと思うのだが、今度はスネ夫ジャイアンの代わりにのび太を虐めはじめるのだ。当然、のび太スネ夫も無かったことにしてしまう。すると今度は名前も無いようなキャラがのび太を虐めだし、最終的にのび太は世界中の人間を消してしまうのだ。

これは凄い話だと思う。大人の世界でも同様なことが常に起こっていると思うのだ。あの件さえ無くなれば、あの人さえいなければ…。結果は想像通りである。次のストレス源が必ず現れる。要は、あれさえ無ければとかこれさえ無ければというのは全く意味が無く、自分の心持ち次第だということ。目の前にある嫌なこと、やりたくないことから逃げ続けても、何の解決にもならない。やるしか無いのだ。生きている限り。

ドラえもんは他にもこれ子供のためのマンガなのか?というような話が結構ある。作者はどう思っていたのだろうか?

自分も何とか嫌々ながら目の前のジャイアンに取り組んでいる。本当は逃げ出したくてしょうが無い。朝起きて布団から出るときの、何とも言い難い感情。毎日感じている。でも逃げても今度はスネ夫が現れるだけなんだ。

で、この回の話の結末は、その道具は一定時間が過ぎると消した人全てが復活し、「ね、消しても意味が無いでしょ?」的な終わり方をする。

 

 

 

仕事への取り組み方

自分の仕事への取り組み方は、仕事の先にいるのは自分だ。要するに、都合や希望は全て自分の方を向い仕事をしている。

とあるネット番組で、仕事の取り組み方的な話を聞いた。その人曰く、仕事とはお客の方を向いて、どうしたら顧客に喜んでもらえるのか、そういった考え方をしながらでないと、早い話給料のため、お金のためだけに仕事をすることになり、結果スキルも上がらず、モチベーションも下がり、やる気も失うと。

このアドバイスは、営業職の人に対してのものだったから、その仕事の先には、直接お客がいるわけだ。自分に置き換えると、営業職ではないので直接先に顧客がいるわけではない。ミスなく遅延なく業務を遂行するとこが会社のためになり、その先に顧客がいる。順序は逆かもしれないが。どちらにせよ、自分の業務はどうしても自分の方を向いてしまう。ミスを恐れ、改善することもなく、ただ、決められた業務を遂行するのみ。

最初のアドバイスのように、顧客目線で仕事をすることが、結果的に会社の利益に繋がり、ひいては自分にも評価として返ってくる。

と、これは理想論。理想的な考え方だ。勿論、このような働き方をしている人もいるのだろう。もしかしたら、自分の認識が甘々で、大多数の人がこういう働き方をしているのかもしれない。

しかし、どう働こうが人が人を評価する今のシステムでは、不平等、理不尽、差別、こういったことは消えることはないだろう。ちんたら働いて過ごしても、一生懸命過ごしても、見えない人には見えないし、見てる人は見てくれている。しかしながら、そんなことはどうでもいいことなんだと。人様のために働き、生きていきなさいということを最初のアドバイスはいっているのだ。

わかるよ、わかる。いってることは至極真っ当なことを言っている。正論だ。

しかし、本当にそんな働き方が、自分の感情は置いといてなんて働き方が出来るのか?

働く理由はお金だ。綺麗事を並べたってそこが真実だ。

理想と現実。少しくらいは、理想を取り込みたいとは思う。

死にたいと思うのは何故か

これは自分にとって、毎日のように考えてはなかなか答えが出ない難題。

周りの人に、それとなく聞いてみると、同じような考えの人が多いことに驚く。程度の差はあろうが、みな生きる希望みたいなものがあまりないんだろうか。だから、楽な道=死になるのかなと。

死んだら無であって欲しいし、でないのなら死ぬ意味がない。

話を戻すと、死にたいと思う理由は簡単だ。現状に絶望しているから。改善すると思えないからだ。

人が生まれた意味はないと考えてはいるが、生きて行く理由みたいなものは何かしら欲しいものだ。それに対しての自身のモチベーションが、なかなか保てない状況。だから生きて行くよりも楽と考える『死』を安易に考えているのだろうか。

生き死にとは何なんだろうか。

ただ、もう少し楽になりたいだけなんだ。

何だろうか

何だろう、このわけもからない不安感は。特にこれという何かがあるわけではないのに、こころがザワザワするような不安感。

仕事、将来、健康、その他様々なものが重なり合ってもたらされるものなのか?

ネットで調べるとそれを『病的な不安』と呼ぶらしい。理由がないのに生じるもので、何らかの精神的、身体的な疾患の特徴らしい。

そりゃまあ、病的だろう。精神的に様々なものにストレスを受けながら生きているのだから。むしろ、何も感じないで、暮らしている人の方がどうかしてるんじゃないかと思うくらいだ。

問題は、そこからどうするかだが、そこには精神科または心療内科に行けとある。もうこっちは行ってるって。薬を飲みながら生活しているよ。

恐らくは、自律神経からくるものだろう。しかし、この状態で生きて行く限りは現状どうにもならない。いや、考え方を少し変えていければあるいはどうにかなるかもしれないが。

この世の中に、幸せを実感しながら生きている人ってどのくらいいるんだろうか?自分には本当に信じられない。不安や恐怖が心の中のかなりのスペースを占めている。

 

なんで生きてるのかな。ほんとこれに尽きる。

やる気ってなんだろう

タイトルの通りだが、やる気っていったいなんなんだろうか?

今の自分には様々なやる気がない状態だ。仕事、趣味、いや何よりも生きる事にやる気が持ててないのが一番たちが悪い。

何をするにも惰性というか、流されている感じだ。行先はどこなんだろう。自分にも今はわからない。

で、やる気ってやつなんだが、自分にも時々やる気ってやつが湧いてくる。あの仕事にもだ。なんなんだろうかと思うが、ようは単純な事。自分のこころが勝手に決めているから。所謂昔から言われている、こころのもちようってやつだ。しかし、このこころのもちようの制御が自分では出来ない。全てなんとなくで始まり終わる感じ。もし、自分でこれを制御できたなら、もっとまともな精神状態で暮らせることだろう。その方法は、物事を自分で決める勇気とか覚悟みたいなものなのかな。

以前、ここにも書いたが、相田みつをの詩で、『しあわせは自分のこころが決める』というのがあるが、これにつきるのだろう。こころのもちようで苦しくも楽しくもどちらにもなりうる。

考え方の癖みたいなものが、長年の生活で自分の中にこびりついている。これを『性格』と呼んでも良いと思う。この癖を少しでも変えていけたなら…

訓練なのかな。