大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

親、批判を承知で少し書きたい。

人間が育つ課程において、親の存在はとてつもなく大きいと思う。よく大人になったら、二十歳を過ぎたら、自身の責任だ的な話も聞くが、ではその大人を作り上げたのは誰なんだろうか?確かに生まれながらの資質みたいなものもあるだろう。同じ親に育てられたのに、兄弟の性格が違うのはなぜか?

しかし、その人間を育てあげたのは紛れもなく親なのだ。親は無くとも子は育つ。確かにそれはそうだが、ではまともに育たなかった人間は、大人になったらどう自身で責任を負って生きていけば良いのだろうか?

ニートの問題、あれは誰に責任があるのだろうか?30歳を過ぎてニートになってるような人間は誰が作り出したのだろうか?その人間自身の責任で片付けられることなのだろうか?

親の責任だろう大半は。

私自身は、なんとか人並み程度の生活は出来てはいるが、親に対して良い感情は持っていない。自分の性格を形成する課程においての親の責任はとても大きいと思っているからだ。それを、二十歳を過ぎたらはい、親からは卒業ですといわれても、それはどうなんだろうか?

私は離婚を経験している。それは別に親どうこうのは思っていない。ただ、子供ははじめから欲しいとは思っていなかった。この感情は一生変わらないだろう。後悔もない。なぜなら自分に子供を上手に育てる自信が全く無いからだ。正直怖い。

自分自身どういう理由で生まれたのかは知らない。計画的なのか偶発的なのか。しかし、親になるという事は本当に大変なことだと思う。その子の人生を大きく左右する存在なのだ。生半可な気持ちでは子育てなんかしてはいけないと思う。一生、その子の責任を負う義務がどうしたって発生する覚悟は必要だと思うのだ。

もし子供が犯罪者になったら、その親は大人になった子供のことは知りませんでは通らないのが事実だろう。

少子化の問題、理由は色々あるだろうが、こういう問題もあっての事では無かろうか?

責任持てません。自信がありません。関わり合いたくありません。そういう人が多くなっているのでは無かろうか?

反面、上手に親子関係を築けている人は心から尊敬する。自分には無理だから。

日曜日の過ごし方

《人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。》

徳川家康の言葉だそうだ。昔々の大成功をおさめた人物が、現代人にも当てはまることを言っている。と言うことは、人として正しい道、あるいは生き方と言うものは時間が経っても変わらないと言うことか。むしろ、人生が昔より長くなっているぶん現代によく当てはまってる気もする。

で、タイトルのことだか、究極は2つの過ごし方しかない様に思う。

ひとつは、休みの日はもう一切合切、週明けどうなろうが全て開き直って忘れる。考えないことに決める。

もうひとつは、考えうる仕事の準備をする。予習が必要ならするし、様々な準備をする。そしてこの方法の最大の利点、『安心感』を得る。

月曜を迎えるのが怖いのは不安感もあるのだと思う。なら、その不安を準備と用意で打ち消す。ただし、この方法はせっかくの休みを結局仕事に費やすのと対して変わらないと言うことになるが…。

自分は、今回後者を選ぶ。今日の午後は明日以降の準備をしようと思う。

ただ、どちらの方法をとったにせよ、夜のお酒は不可避。酒に頼ると言う道は避けようがない。これは毎日のことなのだが。

そして、家康の言葉に戻るわけだ。急ぐべからず。現代人も昔の人とは違う、重い重い荷物をいっぱい背負っている。あまりにも先を考え過ぎ、不安を煽ってもその予測通りには現実は進まないものだ。逆に思ってもみなかったことも起こる。だから、ある程度の開き直りはきっと必要なものなんだろう。こころの安定のためにも。

自由とは

自由自由と人はいうけど、果たして自由とは何だろうか?

自分でもよく口にしてしまう。仕事で束縛されていたり、何かしらで時間が拘束されている様な時、あ〜、自由が欲しいと。

でも、自由とは自分で全ての行動を決め、その責任までを負うことであろう。成功したり、楽しいと思えればそれはそれでいいけど、何かしらうまく行かなかった場合、最悪責任を負わなからばならないような事態もあり得るのだ。

自由とは、つい労働の反意語と思ってしまうが、そうではなく、目的、手段、責任を負うある意味、危険なものでもあると思う。

自由とは、本当に使いこなせるものなのだろうか?なければ欲しくなるが、あればあったで、何かと面倒くさいものだとも思うのだ。

他人に行動を決めてもらう方が、時によっては楽な時も多々ある。

自由、以外に扱いづらいものだと今更思う。

生きるために会社に殺される時代

再三書いてきた通り、生きるためにはお金が必要で、そのために会社で自分の時間と引き換えにお金を稼いでいる。と同時におまけにストレスももらっている。

今の時代、会社はどれだけ人員を削って、人件費を削って、そして利益を確保するか、そういうシステムになってしまった。

当然、社員にのしかかる責任と物量は増える一方だ。そしてストレスまみれの生活。

整理すると、

生きる→金が必要→労働する→精神的苦痛→死にたくなる

というわけだ。死にたくなるならまだいいが、実際に行動に移してしまう人が後を絶たない現実。自殺大国日本。生きるために、結果として会社に殺されるわけだ。こんな行動に意味があるわけない。

では、どうしたらこの負のスパイラルから逃れられるのか。正直、全く思い浮かばない。せいぜい自分で独立するか。しかし、独立はあまりにもリスクが大きいかけだ。

この状況があと数十年も続くのかと思うと…

ますますわからなくなる、何故生きるのか?

なんかいいことないかな

と言う感覚、なんなんだろうか?

いいことって何?

自分でもよくわからない。でも必ず口にしてしまうこの言葉。単に現状に対する不満がこの言葉に繋がってるだけなのかなと。

今がたまらなく、楽しいと思えず、その現状をただどうにかしたいだけのこと。だから、具体的に何かが何なのかは自分でもわからない。

今日も仕事だけの、くだらない1日だった。今、酒を飲みながらこれを打っている。

でも、もし明日倒れて、実は大病ですと告知されたら、きっと、昨日までの生活がなんて幸福だったのだろうと思い知るのだ。

そんなもんなんだろうな。

足るを知る。そういうことなのか?

もう寝ないとやばい時間。

でも寝たくない気持ちもあって、YouTubeなんとなくみてた。

人間は苦手だけど、動物は大好きで、特に犬が大好き。

本当に他愛もない話かもしれない。内容は兵役を終えた人が家に戻り、飼っている犬に再会する、ただそれだけの話。興味のない人には、ふーんかもしれない。

でも、自分にとっては、犬の素直な感情の表現に涙がとまらなかった。

あえなかった飼い主に久しぶりに会えて、体全体で喜びを表現している犬の姿。

その犬に喜びを表現している軍人。きっと戦地では色々なことがあったことだろう。

でも、犬にはそんなことは関係ない。会いたかった主人との再会。その主人も様々な事情は横に置いといて、いまはその犬との再会に喜んでいる。

ただそれだけのことに涙が溢れてとまらなかった。なんなんだろうか?

羨ましさ、優しさ、そんな感情かな。

涙はこころを洗い流してくれる。

ありがとう。おやすみなさい。

幸せに過ごすには

この問いの答えは…

必要かなと思うものを考えると、

・時間

・必要ならお金

・人間関係

・興味

この中のいくつかを組み合わせる。

今の自分にとってこの中で一番足りないものは、「興味」かな。そもそも、興味とは?

あれをしたいとか、あれが欲しいとか、そういった欲望、ん〜、欲望か。

物欲なら多少はある。でも物欲では幸せはほんの一瞬で消え去ってしまう。消え去らない幸せとは何か。少なくとも今の自分は持ってない。

人によっての幸せの定義はそれぞれだろう。それを決めるのは自身の問題。だとすると自分にとっての幸せとは何か?

「ない」

そもそもの問題はここなんだ。したいことが特にない。無気力、無感動とでも言うのか。とにかく流されて生きている。全てがそう。いつからこうなったのかな。そもそも、子供の頃、野球選手に憧れた位で後にも先にもそれ以降、その様な感覚を持ったことがない様な気がするのだ。

人生ってそんなもんなのかな?

流されて生きて、死んで行くだけ。

その途中途中に、人それぞれの、イベントの様なものが現れ、それが楽しいものだったり辛いものだったり。そしてまた流されて行く。その繰り返し。

それって、どうなんだ?楽しいのか?意味があるのか?

そこなんだ、今自分にとっての大きな悩みは。

とうしても無意味に感じてしまう「生」

考えたって答えなんかないことはわかってはいる。いや、いるつもりなのかな。でも、何らかの対処法を体得しないと、生きている間中、この悩みは続く。ジワジワくる苦しみ。激痛ではないが。でも苦しいんだ。解放されたい。