大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

本日も苦痛なり

つくづく嫌になる。毎日の繰り返し。なぜ日本人の働き方はこうまで苦しいのだろうか?

必要以上に時間をかける会議、意味あるの?

何度も何度も目標だ何だ言って、そんなの達成できないでしょうというようなことを要求してくることに意味あるの?何でもかんでも目標を掲げさせて出来て当たり前。出来なければその原因探し。再度目標設定の繰り返し。もっとやりようあるでしょ。無駄が多すぎる。

先が見えている人生にアホらしくなる。しかし、今を変える勇気がない。気持ちに慣性が働いていて、動けない。こうやって愚痴を綴ってうさを晴らしている情けない現実。所謂勝ち組とか言われているような人達はいったいどういう思考で生きているんだろうか。

自分は全くやる気が出ない。ただ淡々と日々が過ぎて行く感じ。それだけならまだしも、そこにもれなく苦痛がセットだ。

現状を変えるにはやはり大きな変化が必要なのだろうか。本当にサラリーマンには飽き飽きだ。

もっと若い頃に先を見据えた働き方をしておくべきだったのか。流された結果が今なのか。

今の若い人は是非考えた方がいい。今の働き方が将来どうなって行くのか。ある程度の将来像を見据えておかないと、今後はもっと苦しい環境になると思う。

何もかも疲れたな

タイトルの通りだ。特に月朝はきつい。心身ともにストレスにやられる。行きたくない、何より布団から出たくない。出来ることならこのまま夢のなかに逃げ込みたい。

最近思い出されるのは、何故か離婚した元妻のこと。うまくいっていた頃の生活がなぜかよく思い出される。基本だいたいはうまくいっていたと自分は思っているからこそ、こんなこと今更思い出してしまうのか。いまが辛いから?

結局は壊れた関係だ。今現在、彼女がどこで何をしているのか、極端なことを言うと、生きているのかも知らない。向こうもそうだろう。

今思い出されるのは、うまくいっていた頃の彼女の存在であって、今現在の彼女のことではないのが不思議な感覚。要するに、過去の幻影に変な言い方だが囚われている感じ。

ま、この話はこの辺で。

やはりそんなことを考えてしまうのも今が納得いっていないから、辛く苦しいからだ。勿論納得のいかない生をおくっているから。仕事に支配された人生を送っているからだ。

人間とは不思議な存在だ。無駄に発達した脳。そのため無駄に発達した経済。いや、今でも昔ながらの生活をしている、所謂原住民と呼ばれるようなアフリカやその他の地域の人は、現代に生きていない人達がいる。

なんか羨ましいな。

ニンジンが欲しい

ニンジン、頭の前にぶら下げるニンジンが欲しい。散々ここでも書いているが、人は生まれてきたことには何の意味も理由もないと自分は思う。ただの偶然くらいだ。しかし、生まれたあと生きるて行くためには、やはりなんらかの理由がないと辛いのだ。なぜならば、生きるということは本当に辛く苦しい事だからだ。

普通に考えて、辛く苦しい事を続けたい?いやいや、逃げたいし、やめたい。自分はそう思う。ここでいう逃げるは生きる事を止める事。すなわち、死だろう。

それを覆すためには、ニンジンがどうしても必要と考える。このために辛くとも行きて行くんだという、理由だ。

大別するとそれは、人間関係、趣味このあたりになるかと。人間関係は、友人、恋人、妻、子供、親などとの触れ合い。

趣味は、もうそれこそ人に迷惑さえかけなければ、そして本人が納得するものならそれこそなんでも。

こういった何かがないと本当に行き続けるということが不可能だ。辛すぎるのだ。苦しくて、悲しくて、虚しくて、結果死にたくなる。生きることを放棄したくなるのだ。自分は今この位置にいるから本当に毎日が苦しいと感じている。虚しくて、逃げたい。

お灸

いつもとガラリと変わった話題も。

最近体調があまり良くなく、なんか良いものはないかなと探していたところ、ひらめきでせんねんきゅうを試してみたらこれが想像以上にいい感じ。

特に首に貼ると首肩こりがだいぶよくなり、これならプロの鍼灸院に行ったらもっといいかもと思い今度行ってみようと思う。

ホームページをのぞくと精神的に効くツボもあるので色々と試している。

つぼ、奥が深いなーと。

ぶら下がり社員

ぶら下がり社員というのをご存知だろうか?

定義としては、言われたことはある程度の品質でこなすが、それ以上のことは自分からはしない。昇格も興味なし。あくまでもお金のためだけに会社に行っている、要は金のための労働と割り切って働く社員のこと。ただ、結果としてそうなってしまった的な定義がされてるが、自分は明らかに自分の意思でそうする。これは今の社会に対する反発でもある。こんなつまらない社会をどう生きてこうがこっちの勝手だ。逆手にとってやるくらいの気持ち。

問題は、会社以外のプライベートの時間の使い方だ。これがおろそかになっては意味がない。なんのため金を稼いでいるのかということだ。プライベートでの時間と金の使い方が今後の人生の全てと言ってもいい。今のところ何をしたいとかが無いのが悩みだ。かなり情けない。これでは仕事が目的になってしまう。そんな生き方はまっぴらごめんだ。

逆に仕事を利用してやるくらいの気持ちだ。

歳をとる恐怖

今恐怖を感じてることは歳をとること。それだけというわけではないが、とりわけ怖いのは歳をとることだ。

なぜか?それは孤独感、金の心配、あとは細かな漠然とした不安等々、その歳になったら感じるであろう恐怖。

老人の間でよく言われているのは、ピンピンコロリ。要するに、ピンピンしている間にころっとあっという間に苦しまず死んでしまうことだそうだ。老人の間でもそういう考えが多くあるということの証だろう。

苦労と苦しみを乗り越え老人になり、そこから更に苦しむ。これを地獄と呼ばずなんという?

自分は正直、健康なうちに死んでしまいたい欲求がある。先に述べたように、老人の苦しみなんて味わいたくはない。正直聞いてみたい。老人と呼ばれる人は正直何を考えながら生きているんだろうか?恐怖、不安、そんなものを抱えているんだろうか?それとも案外楽しんでいるのか?それにはある程度の健康とお金がいるような気がするのだが。

日本は狂った国になった。老人は早く死ねと言っているのと同じ政策を取ろうとしている。

この考えに行き着いてしまう。なんのためにいまを生きるのか?

安定の月朝

安定の不安定とでもいうか何というか、気分の落ち込みが酷い。電車の中の人も今にも自殺しそうな顔をしているように見える。何故こうまでしてみんな働くんだろうか?

もちろんお金のためが一番だろう、というかそれしかないとも言える。

ここでもなんども話題に出してるし、この生活が続く限り書いて行くだろうが、そこまでして何故いきなければならないか?サラリーマンとして働いても60ないし65歳で会社からは切られる。そのころは身体のどこかに不調を抱え、五体満足な生活は期待できないだろう。

そこから先をどう生きる?希望なんか普通は持てないでしょう。年金だってあるんだかないんだか怪しい。その年まで我慢して働いた結果がこれだ。何の希望が持てる?なのに働いて生きている今。時は金なりとはよく言ったもので今やらなければならないことがたぶんあるのでは?と考えてみても特に見つかりはしない。もしかしたら、死ぬ間際になにか気づくのかもしれないが遅い。

ものすごくネガティヴに聞こえるかもしれないが、これを覆す考えってどんな考え?あるのか?今を楽しむということ?刹那的にいまを。