大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

認識の難しさ

雑音、迷惑音とでもいうのか。最近の自分の中では、女性のヒールのかつかつ音。あれ何?

なぜあそこまでかつかついわせる必要があるのだろうか?本当にそばを歩いていると五月蝿くてたまらない。あまりに五月蝿いからそんな人が近くにいると思いっきり走ってぬいてしまう。本当に迷惑に感じる。

しかしだ、その人にとっては多分おしゃれの一環なんだろう。他人の迷惑になってはいても。

これと同じことが色々と起こっている。例えば、自分は賃貸マンションに住んでいるのだが、マンション内で五月蝿い輩は少なからずいるわけだ。音楽、テレビ、話し声、等々本当に迷惑に感じる。その理由はこっちもそっちも家賃というお金を家主に払っているのだから対等な立場であろうと。ならば片方が我慢してもう片方はやりたい放題というのは如何なものかという考えが基本にあるからだ。自分的には正論だろうと考えている。しかし、人間とはいい加減なもので、人の事を考えないで生きていける奴はごまんといる。といいつつ、自分自身、誰にも迷惑をかけずに生きているのかと問われれば多分、かけてる時もあるのだろう。

ここで何がいいたいかというと、受けた事象に対して、その良し悪しを判断しているのは自分自身なのだという事。それらをそれぞれの人が行なっているのだ。そりゃ自分勝手な判断も出てこようというものだ。

要は、起きた事象に対し、その善悪の判断をしているのは個人個人であるという事。受け取る側の判断に関わってくる。と言うことは、自分には他人の考え方を強制する術はないと言うこと。唯一変えられるのは自分の感じ方、捉え方、これだけなのだ。

何が起ころうが自分がその結果をどう受け止めるかという事だけなのだ。仮に、攻撃的に受け取るならば、警察やら、その他のありとあらゆる術を使って自分の正当性を主張するのもありだし、しようがないと諦めるのもひとつの考え方だろう。

人の事は変えられない。変えられるのは自分の範疇だけなのだ。これは全ての事に当てはめられる事だ。大きくとると人生全ての事象に当てはまるとこだ。

まー、雑音から随分と大きな事に発展したが、そう言う事なだ。

少し話を戻すと、自分は犬が大好きで、散歩の途中の人が犬を散歩させていて、その犬がアスファルトを歩く時だすペタペタという足音、これば大好きだ。とても可愛いと思う。しかし、人によってはこれを雑音ととる人もいるのだろう。そう言う事なのだ

自分が認めた音は雑音ではなく、認めない音は全てが雑音なのだ。電車の音や車の音などは何とも思わない。これは自分がしょうがないと認めているから。

この自身が感じる事象の感じ方をコントロール出来たなら、かなり生きやすくなるのだろう。

トイレ逃げ

仕事中、どーにも辛くなったり、眠くてたまらんとなったとき、トイレに逃げ込むことがままある。多分、そういう人が結構いるんだろう。かなり個室は使用中が多い。

なんなんだろうか。あの、ふーと息を吐いたときの安堵感。ま、本来なら只のサボりなんだがどーしても行ってしまう。

ほんの数分間の逃げなのだがたまらなく安心できる空間なのだ。サラリーマンならおそらくはあるあるなのではないだろうか。

しかし、考えてみると情けない話だとは思う。大の大人がトイレに逃げ込んでるわけだから。朝も少し早めに会社に着いては、ほんの少しの時間あそこに逃げ込んで気分を落ち着かせている。

何を言いたいわけではないが、あー、わかるわかると思ってもらえるならば少しだけほっとする。

寝逃げのススメ

昔は寝るのが嫌だった。理由は寝たら朝が来るから。その一点だ。朝が来るということは現実が始まること。また苦しい現実が始まるということ。それを回避するため、夜な夜な起きて酒を飲みうさを晴らしていた頃が続いていた。

しかし、最近はというとその真逆を行っている。早く寝てしまうのだ。そうするとたしかに朝が来るわけだが、起きている間考えてしまう苦痛、妄想、不安等々から逃げることが出来るのだ。さらに、運が良ければ現実ではあり得ないような楽しい夢を見ることもできる。

これに気づいたらもうやめららなくなった。まさに寝逃げだ。寝て現実から逃避するということ。

鬱の治療法としてはそう呼ばれているらしい。確かに余計なことを考えなくて済むので気は休まる。

しばらくは続けることになるだろう。

ビルゲイツとホームレス

あの大成功者のビルゲイツと、ホームレスの人の人生を少し考えてみた。

ビルゲイツは小さな会社からOSの開発に成功し巨万の富を得た。それこそどこかの国家予算に匹敵する位の額だ。一方、ホームレスの人はどういう経緯があったかはわからないが、現状はほとんど一文無しだろう。明らかに現状金銭的にはとてつもない差がある。

しかしだ、それが幸せの尺度かというとそれは当人にしかわからないこと。もしかしたらホームレスの人の方が幸せを感じながら生きているかもしれない。

それに、死は必ず訪れて、その最後はなにも持ってはいけないのだ。その時点ではどちらにも差はない。そう考えると、現状ある意味自由人のホームレスと色々なものに縛られているビルゲイツとどちらが幸せなのだろうか?

それはケースバイケースであって普遍的なものではないはず。

要は金では幸せは約束はされない。無いよりはあった方が幸せになりやすいというだけ。

人間の幸せは、人に感謝され、認められ、必要とされる事だと何かで読んだ。そこには金の必要性はないのかもしれない。

死ぬときに何を思い死んでいくのか。そのときにその人の人生が投影されるのだろうか?

ビルゲイツは今幸せなのだろうか?

金は幸せにどの程度影響を及ぼすのだろうか?

働くことの無意味さ

働くこと、それは即ちお金を得ること。お金を得るとは、自分の時間、受けるストレスや負の感情などの対価として、それらを会社に切り売りして得た報酬のことだ。

要は会社との取引を行っているということ。しかしだ、そんな事をしてまでお金を得て、生を繋いで、最後には死が約束されている。全てが無に帰すわけだ。まるで、積み木を高く積み上げてかっこよく作り上げたタワーが、一瞬にして壊れるようなもの。

頑張って苦しんで、最後に待っているものは、全ての破壊。これが人生というものの正体。

何か楽しい?

こんな事をするくらいなら、はじめっからなかった事にした方がいいと思うのは変な事だろうか?

申し訳ないが、老人を見かけると、なんだかとても苦しくなる。自分もああなるのか、行き続けたら。

自分は太く短くが理想だ。健康なうちにぽっくりいきたい。みんな考えていることかもしれないが、長生きなんか全く興味がない。

何か生きていて、あー、これやってる時は幸せ感じるなというような感覚を持ちたい。今それに近い感覚は寝ている時という、なんとも情けない現実。

少し落ち着いて来た

今日は本当になんかわからず、日曜の夜にやられていた。ネットを漁り、youtubeを漁り、本を読み返し、とにかく安心材料を探しまくった。

その中に、

今現在、不安に思ってることは?

という問いがあった。今現在?今はまだ日曜の夜で月曜の朝ではない、とふと思ったら少しだけだけど気が楽になった。

まだ起きてはいない不安や恐怖に、しかも自分が作り出したものにだ。それらに恐怖し、おののき、あたふたしていた。所謂杞憂だ。

今この現在においては、何もなされてはいないのだ。そう思ったら、少し気が楽になり、落ち着きを取り戻して来た。

もっと今を大切にしよう。

寂しさ

日曜の夜だからというのもあるかも知れない。なんか心がきゅーっとなるような孤独感というか、寂しさというか、そんなものが出て来ている。

今日、電車に乗ろうとしたら、人身事故とのことで遅延していた。おそらく自殺だろう。それは今日が日曜だからだろうか?

もしそうなら、自分にもおおいに理解できる感情だ。明日なんか来なければ良いと単純に思う。なんで苦しみの中生きていかなければならないのだろうか。

ただ、生まれたので生きて行っているだけの今。なんの意味があるのか?いや、そもそもそんなものは何もありはしないのだ。ではなぜこんなに苦しいと感じている自分がいるのだ?

わからない。でも、今が苦しいのは事実なのだ。理由なく苦しんでいる自分。なんでこんなにも生きるとは苦しいのだろうか。