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大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

気分転換

今日は有給をとってとにかく休んだ。いつも通り起きて、天井を見つめぼーとしたり、スマホいじったり、とにかく適当〜に午前中過ごした。晴れやかなとは違うけど、なんとなく気分転換にはなった気がする。

たまには休んだ方が良いんだ。権利は使うためにあるんだから。ここはサラリーマンの特典みたいなもの。自営の人にはない。自営は休んだら無給だ。ま、どちらが良いかは別問題だが。

とにかく、やすんで気分転換した。午後からは雨も上がったので近くを散歩して歩いた。

何か行動を起こす。自分で決めて、何かをするんだ。正直、いちにちふつか休んだって仕事は回る。迷惑はお互い様なんだ。逆の場合も経験している。それで良いのだ。最終的には有給は使い切らずに消滅しているんだ。使い切ってるやつなんてほとんどいない。逆にそういう奴はみんなから本音では嫌がられているが、でもそれで良いとその人が思ってるのならそれで良いのだ。なんか、そんな事を今日思った。

サラリーマン、使える利点や権利は使っていこう!

無常

無常。常は無い、つまり同じ今の状況がこのまま続くということは無いということ。なにかしらの変化が起こるということ。

今が不幸せな人にとっては魔法の言葉。今が幸せな人にとっては悪魔の言葉。当然、私にとっては魔法の言葉。

今が続くなんて、考えただけでも辛くなってくる。しかし、変化は必ずしもいい変化とは限らないわけで…。これ以上、苦しくなるのは考えたくない。無理。

確かに、今まで仕事に限らず、同じ状況や環境が続いたことはない。良いこと悪いこと、両方変化が訪れてきた。だから、今の状況も今後いつかはわからないが、必ず変化は訪れるはずだ。今はそれにほんの少しの希望を抱いている。しかし、こと仕事に限っていえば、自分の場合、どんどん悪くなっているのが現状。果たして次回の変化は如何に⁉︎

 

ほんの少しでいい、好転してくれ。

サラリーマンの愚痴

そう、サラリーマンならあるあるだろう。サラリーマン特有のと言うか、人数が集まり、そこに上下関係が発生した時なら、発生するであろう理不尽、不平等、etc…

  • 言ってること変わってんじゃん!
  • それ俺に言う!
  • お前の仕事だろ!
  • 人増やせよ!

ま〜、色々出ますわな。いろんな愚痴。自分に言わせりゃ正論だと思うんだけど、あの人たちにとってはどうも違うらしい。

なんで俺、サラリーマンなんかやってんだろう。どう考えても職業選択ミスだと思う。とは言え、じゃあ何になれる?

近くで見渡すと、経営が成り立っている床屋、整体師、パン屋…

しかし、この成功者は敗北者の上に成り立っているいわば勝ち組であって、割合で言ったらほんの一握りの人達である。自営業者の生き残り率の低さは異常としか思えないほど低い。

なりたいけど…、怖い、失敗した時が。日本はやり直しがとてもしにくいシステムだ。一度道を踏み外すと軌道修正は本当に難しい。

自分にも今思えばああしておけばよかったと思う分岐点がいくつかある。しかし、選択の結果、現在に至っている。お金にはとりあえず今は困ってないが、精神的には本当にきつい。将来を思うと本当にお先真っ暗な気分になる。

甘いのかな、俺は。しかし、いつも思う何のために働いているのか?

目の前のやるべきことをやればいい。うん、確かに出来なくはないが、で?

この問いの答えが見つからない。ただ生存するのが目的としか、答えが出てこない。そんな『生』になんの意味があるのか?

苦しんで苦しんで、ほんのほんのわずかの幸福感を得て、また苦しんで。

これが人生というものなのか?と考えてしまう。自分は人としてのレベルが低いからそんな考えしか浮かばないのかな。もっとレベルの高い人には分かる事があるのかな。

生きる=?

そもそも、人として生まれて、生きていくという事はいったい何なんだろう?

最後は死ぬ。その先があるのか無いのかは死んだことがないのでわからない。どんなに金を儲けようが、名声を得ようが、苦しもうが、幸せになろうが、不幸になろうが、最後はせいぜい長くても80年も生きれば死がやってくる。誰もが死ぬのだ。

仏陀の言った四苦、生老病死。

生まれて、老いて、病んで、死ぬ。

この間に、色々な環境変化、対人、様々な要因から来る感情の変化はあるだろう。でも最後は死ぬんだ。たぶん苦しみの中で死ぬ。

もし、仮に、こういう結末になるんだけど、生まれたい?と聞かれたら?

断じて生まれたくなんか無い。お断り。

自分は宗教を今は信じていない無神論者なので、死んだら無の世界だと思っている。無の世界というのもなんか変な表現だが。例えるなら、寝て起きたとき、一切夢の記憶が無い時がある。丁度あの世界。あの世界が理想。

で、タイトルに戻るが、生きるとは何なんだろうか?結末だけが決められたRPG

その人の行動次第で途中経過は変動するが、最後は魔王に殺されるという結末。これって何なの?意味あるの?そんなゲームやりたい?

でも、実際はみなこのゲームをやらされているのだ。

自分は勇者なんかにはなりたくない。

 

感じ方で変わる

同じ実力を持つA、B両者に同じ仕事をあたえたとして、結果としてはほぼ同内容の成果物が出来上がったとする。しかし、Aは仕事のストレスが仮に10かかったとすると、Bには6しかかかっていない。同じことをさせているのに両者にかかるストレスには大きな差が出たとする。

これは実社会でも起こっていることだろう。なぜこうなるのか?

事象の捉え方が両者で異なっているからだろう。仮に、Aはこんな事なんでやんなきゃなんないんだと不満ありありで仕方なくやり遂げた。一方、Bは仕事と割り切って淡々とやり遂げた。要は捉え方が違っただけ。

人は考える生き物だ。故にその考え方が結果に大きく作用する。幸せはもたらされるものではない。感じ取るものだというようなことをどこかで聞いたことがある。最近、確かにそうなんだなと感じる。

全ての事象は、自身の捉え方で大きく変化する。数年前に鈍感力という言葉、考え方がもてはやされた記憶がある。確かに、物事に必要以上に拘らず、いい意味での曖昧さ。これは非常に現代社会を生き抜くヒントだと思う。

 

明日でいい事は、明日やろう。

なりたい自分?

なりたい自分とかゆう言葉をよく、ネットや本で目にすると思う。要は、目標だったり夢だったりといった、そういう将来のなりたい自分みたいな事なんだろう。で、いつも思うのは自分にはそういったものが全くないという事だ。

他の人はそういったものを抱きなが生きているのだろうか?夢や希望、目標みたいなものってなんだろう?

自分の場合だと、強いていうなら今より心穏やかに生活したい。簡単な表現をするなら、朝起きた時に憂鬱な気分で起きたくない。ということは、会社に行きたくないということか。もし、憂鬱な気持ちにならずに会社に行けている人がいるならそれが自分には羨ましい。かといってなりたい、やりたい仕事も特にないのが本当のところ。今の仕事も、なぜこの仕事をここでしているのか、よくわからない。確かに自分で選択していった結果ではあるが、それ以外の力というか、ただの偶然というのか。なんなんだろう。

しかし、会社の問題が仮に全て上手くいったとして、その時本当に前述したような朝を迎えられるのだろうか?会社だけの問題か?

特に人間関係の希薄さ。孤独な将来しか思い浮かばない。人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。孤独なのはある程度当たり前。しかしながら、今までの自分の生き方、まさにそれが因果応報と言うのかな。

夢、目標、希望、探すものではなく、自分の中から湧いてくるものなんだろうな。

人生を自転車に例えてみた

人生を自転車を漕いでいる状況に例えてみよう。はじめのうちはへいたんで爽やかな風を感じながら、とても気持ちよく景色なども眺めながらゆっくり漕いでいる。

そのうち坂道登り道が現れて、でも自分の力でなんとか漕ぎながら、ぜいぜい息を切らしながらも、まだ楽しかったりもする。

ある時、後ろに異性が乗っててなんか楽しい。でも気がつくと、いつの間にか居なくなってて、道も徐々に下り道になる。

そして、ますます坂道になって来て、更にブレーキも壊れてしまう。スピードがどんどん出て来てとても怖い。でも止めるには自分から自転車を倒してとめるしかないが、確実に頭を打って死ぬのはわかってるので、怖くてそれもなかなか出来ない。

目の前には、うっすら壁があるのがなんとなくわかる。当然、このまま進めば壁に激突して一瞬で死ぬ。

と、まあこんな感じだろうか。壁に激突して死ぬのが実際の人生では普通の死に方。所謂運命の死に方。病死、事故死、死に方は今はわからないが、頑張って生きて、そして死んでいく。

怖さに負けて、自分で自転車を倒して止めるのが自殺。スピードがでて怖くて怖くて、逃げたくて…。

自転車を漕いでいる時には、楽しかったり、怖かったり、様々な感情が湧いてくる。でも、自転車は最後には2つの止め方しかない。

自分はどうやって止めようか。