大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

人生地獄があたりまえ

と考えると少しは楽かも。

地獄に生まれたんだから苦しいのはあたりまえ。ならどうするか?耐えるしかないでしょう!ここは地獄なんだから。

その地獄の中でのたうちまわって、もしほんの少しでも、良いことに出会えたら、ラッキー!

出会えなくても、それがデォルトなんだからしょうがない。

仕事が苦しい、地獄なんだからあたりまえ。

死にたいと思う、全部あたりまえ。だってここは地獄なんだから。

じゃあ、死ぬ?もしかしたら死んだら楽かもしれないけど、地獄にいるということは、そこから逃げたらもっと深い地獄に落ちるかもしれない。

ここに生まれちゃったんだから、ここで生きていくしかないんだ、地獄で。

いつかは寿命が来て、平等に与えられている数少ない事柄が「死」だ。どうやって生きようが必ずみんなもれなく死ぬ。ならば、その必ずくる死の瞬間まで、少しでも良い事柄に出会いたい。そのために、一生懸命なんてしなくて良いけど、本当にできる範囲の中で生きて行く。

その結果どうなろうがどうでも良い。ここはどうせ地獄なんだから。あとは運任せ。どうでも良いどうでも良い。生きて行くだけで、人にどう思われようが知るか。それで良いんじゃない?

人の一生

人の考え方や捉え方、その他様々なものはその人の考え方で変わってくる。

育った環境、交友関係、または運。そういったいろんな要素によって人の人生までもが変わるといっても良いだろう。

今自分が考えているのは、幸せとか、楽しいとか、そういったのもではなく、穏やかさだろうか。心に波風立てず、穏やかに過ごしたい。

波風が立つ原因はほぼ仕事。対人、扱われ方、その他というところか。ま、会社からのストレスが大半であることは間違いない。とはいえ仕事以外からも嫌な刺激は受ける。

刺激はある程度はないと、どうやら脳に良くないらしい。なーんにももし感じない変化のない生活を送っていると脳は退化というか、壊れていくようだ。

その脳といえば、大山のぶ代だろうか。仕事と運命と何が原因かはわからないが、認知症になり、おそらくドラえもんも認識できないのではなかろうか。夫の死もどこまで理解できたのか。

あんなに夢を与えてくれたドラえもんも忘れ、半生を共に過ごした夫のことも忘れ、今後もっと壊れていくであろう彼女の生まれてきた意味はなんなんだろうか?こんな終わり方?おそらく彼女はもう完全に別人になってるだろう。大山のぶ代自身はもう終わっていて、見た目は似てるけど中身は別人格が宿ってるみたいなもの。そう考えると、本当に人の一生とは何なのかと考えてしまう。今の自分だから、認知症になるくらいなら安楽死させてくれたか言えるけど。その時になったらどうなるんだろうか?

 

彼女に奇跡が起きると良いのに…

この先あれこれ

基本、いつ死んでもかまわない。あとはどう死ぬかが問題なだけ。

ある程度の経験をした人達は、もういつ死んでもいいと思いながら日々を過ごしているのではないだろうか。特に日本という国では。

長生き=苦しみの継続、でしか無くなってしまったこの日本という国。年金だって馬鹿げている。国が老人は早く死ねと言ってるのと同じ事だ。ま、自分も長生きするつもりはないので、いいのだが。馬鹿馬鹿しい国になったものだ。本当に正直者が馬鹿を見る国になった。これなら、そりゃ税金を払いたくないと思っても当然だ。国は税金をただ国民に公平に分配だけしてればいいんだ。それが最大の仕事のはずなのに、利権のある人だけが得をする。

 

この先、どうするか?いや、もう何も希望も期待も何もない。生きる意味もなければ、強く生きたいという思いもない。

どうやって死を迎えるか。可能な限り、安楽にいければと思う程度だ。

不安と焦燥感

なぜこの感情が頭の中もしくは心の中いっぱいになるのだろうか?

大半は仕事の事。そしてその原因は他人との比較だったり、虚栄心とか色々。要は、他人の考えや評価を余りにも気にしすぎるということに尽きる気がする。これはとっても厄介なもので、自分の評価を他人の物差しに依存していることからくる。しかしだ、俺、今日から他人に振り回されるのやめます。依存するのやめますって出来るだろうか?

自分にもっと自信を持てということだろうが、それがないから他人の評価を気にしてしまっているのだ。他人の評価で自身を計ってるみたいな感じか。本やネットにはそれが1番良くないとある。それは良くわかる。自分がそうだから。しかし、他人の評価を気にしないで、自分の身の丈にあった行動をし、それを一生懸命していれば良い、て事がなんの抵抗もなく出来るものだろうか?人は他人との接触を持って仕事もするし、生きてもいる。そんな中、その他人を意識しないなんて難しいだろう。それこそ空気読めなくなってしまうかもしれない。この考え方事態、悪なのかな。

成功体験の積み重ねが自信に繋がるというが、成功したって次失敗したらどうしようとか考えてしまう。そこで、別に良いじゃん、命取られるわけじゃあるまいし、と良く言われる定番の考え方を持ってこれるだろうか?

他人、自分、会社という空間に存在した時、関係の持ち方が難しい。付かず離れずみたいな。

サラリーマン vs. 自営業

この両者は両者に憧れ、両者を嫌ってるのではなかろうか?

サラリーマンは基本会社の命令は絶対。やりたかろうがなかろうが、やるしかない。下らなかろうが何だろうがだ。

一方、自営業は自分の裁量で事が運ぶようなイメージがある。お金のためなわけだから、やりたくない事もやらねばならない事もあろうが、本当にやりたくなければやらなくても良い。全ては自分の裁量次第。

これはサラリーマン側からの考えであって、色眼鏡にまみれた考えだろう。

しかし、自営業の人から言わせれば、言われたことさえこなしていれば、黙ってても会社さえ安定していれば給料が入ってくる。楽じゃん!てことなのかな。

自営は全てを自分で切り盛りして、判断して、それが間違っていたらお金が入ってこなくなる。まさにやったぶんだけお金になるし、結果が残らなければお金にならない。

あるデータによると、開業5年後には9割の自営が廃業するという。これが事実なら、とんでもない生存率と言える。残りの9割はどうなるのだ?

自分のように、「逃げ」で自営を夢見るようなもんは結果、その9割の中に入るんだろう。それがわかってるから、行動にもうつれない。恐怖だ。

しかし、その成功した1割の人はどう思ってるんだろう?

白か黒か

善か悪か、白か黒か、要するに物事を2択でしか捉えられない。この考え方に中間というか、灰色の部分が存在しない。

この考え方は危険らしく、鬱にもなりやすいらしい。確かに自分もそういう考え方をしてしまう傾向がある。しかし、中間って何だろう?白か黒以外の中間って。

物事も出来たか出来なかったか。そう考えてしまう。要はもっと物事を柔軟に見ろということか。世の中2択で判断できる事ばかりではないと。

もっともっといい加減に生きていけば楽になるのかな。いい加減とは、悪い意味ではなく、良い加減の事だから。丁度良いところという意味。昔から言われている、正直者は馬鹿を見る。そういう事なのかな。

寝る前、起きた時

寝る前、つまり夜寝入る時思うこと。明日このまま目が覚めずにぽっくり逝っちゃわないかな…。

起きた時思うのは、今日も目が覚めたか。

要は、寝ている間に死んじゃわないかな、ぽっくりと楽に。めちゃくちゃ負の感情だろう。ただ流石に自殺は難しいので、ならば自然死をと。この苦痛から、一番楽に簡単に素早く解放される手段はやはり「死」だろうということ。

こんなこと考えるのはやはり病的と言わざるを得ないのか。

いったい、自分の人生とは何だったのだろうか。最終的に早死にを希望するという終わり方。情けないが事実なのだ。