大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

日本人気質?

日本人というのは、海外の人から見たら本当に理解できない民族だろうな。とても人の目を気にする。だから自分の考えよりも「和」を重んじる。その行きすぎた考えのひとつが、仕事重視だったり、顧客優先だったり、要はエコノミックアニマルという使い古された言い方になる。

スペインやフランス、イタリア、その他「人生のなんたるか」をよく理解できている民族は仕事などは単なる生きるために行う行為であり、決してそれが目的ではないことを知っている。だから人生をあんなにも楽しそうに生きている。

時々、日本人の行為に対し賞賛されることがあるが、その行動の深層には人の目を気にしている部分が自分はあると思っている。こうしとけば、こうすれば他人は認めてくれるだろう。

しかし、なぜ生き方にこんな差がつくのだろうか。同じ人間としてたまたま生を受けたのに。

本当につまらない人生を送っている。これは、ただ単に自分だけのせいなのだろうか。自分の考え方ひとつで変えられるのだろうか?

多分無理だと思う。一斉に日本人の考え方が変わるなら可能かもしれないが、ある意味自分も含め他人に仕事を強要している。休みでもサービスを求めているし、要は自分さえ良ければそれでよしというとこか。

自分勝手な自分。日本人は…。

ほんとに何だかな

この人生ってやつは何なんだかな。

なかなか考え方は変えられないから、結局毎日が苦しい。真綿で首を締め付けられるようなじわじわとした苦しみとでもいうのだろうか。

苦しんで金稼いで働いて、これ続けて、最後死ぬ。この罰ゲームは一体何なんだろうか?

えー、分かってます。ただの愚痴だし、もしかしたら所謂、厨二病というやつでしょうか。

不安、恐怖、羞恥心、そんな感情が渦巻いて心の中でもくもくしている毎日。楽しいわけがない。どこで間違ったのかな。なんでこうなったのか。

今日も会社です。くだらないです。

なんもかんも全てが暇つぶし

仕事、趣味、恋愛、うーん、あとなにがあるかな?要は全ての生きている間に行われるとこがらは一切合切、死ぬまでの暇つぶしなんだ。

そんなことはきっとみんな気付いているはず。ただあまりにも、何というか大人なんだからそこは隠しておこうよ、みたいな感じなのだろうか。

自分は別に生まれてきたくて生まれた覚えはないし、働きたいと思ってもいないし、このまま死んでしまっても特に思い残すことはないと考えている。ま、死ぬならその時期くらいは知っておけたならありがたいが。

なにが言いたいかというと、あまり真剣にならないほうがいいという事。全てのことに対してだ。仕事なんてまさにその最たるものだ。別に他人にどう評価されようがどうでもいい。ある程度のお金は入ってくる。可能な限り、お気楽に生きていたい、死ぬまでは。

何故なら生きていたいという欲求、或いは生まれてきたことに対する有り難さみたいなものは特に無いのだから。

全てがただの偶然。必然ではない。

宗教やスピリチュアル的には何かしら言いたいこともあろうが、自分もその考え方には一理あるとは思うが、どうも腑に落ちない。むしろ逆の発想を支持したい。

「全てはただの偶然」

生まれてきてしまったのは事実。なら生きてる間は死ぬまでの暇つぶしくらいに考えていないと精神、身体、もちませんわ。

不思議な月曜日

普段休み明けが月曜日。だからサザエさん症候群と言うような言葉もあるくらいだ。でも、時々三連休で最終日が月曜だったりすると、サザエさん症候群はなにになるんだろうか?自分の場合は変わるものは特になく、何故かそこまでズズーンという感覚はない。と言うかなんか明日会社だなみたいな感じだ。

休み明けが月曜というのがあまりにも身についていて日曜が辛い。そうあう事なのかなと。

自分は休み方の中で月曜に有給をつけた三連休を時々とる。その理由は上記の通り。何故か金ではなく月を休むことを選択する。同じ三連休なのにだ。

なにが言いたいかというと、要は気の持ちよう。感じ方で全く違う気持ちになるもんなんだなと。

人の脳みそは意外とポンコツで慣れてない事にはあまり反応できない。もしくは考えないでいられるのかもしれない。

自分は、月曜休みが好きだ。

夢、普通に考えると多分将来の夢という事になるのかな。でも、自分にとっては寝てる時に見る夢のこと。そして、最近これがとても楽しいのだ。サスペンス、冒険活劇、その他支離滅裂系など、とても面白。できる事ならこの夢の中に住んでいたいくらいだ。

現実逃避、その一言に尽きるだろう。ただ会社の夢もよく見る。この時は起きた時、ドーンと落ち込む。たかが夢の中の話だけど、やはりせめて夢の中だけはという気持ちがあるから。

夢を自分の自由にできたら良いなと思う反面、それはやはり怖いという気持ちになる。そんな事ができたなら、本当に夢の中に入り浸ることになるだろう。最低限の金、栄養、それ以外は不必要になる。寝てる事が全てになるのだから。だから、夢は自由にならなくて良いのだ。

時々、良い夢見たな〜と思うくらいで丁度いい。

情けない国だな

何をしたいんだあの国は?

当然北のことだ。撃ち込めばいいだろう。霞ヶ関辺りにでも。そうなりゃ大きく現実が変わる。どうかわるかはわからないが、自分の生活は大きく変わる。

正直、自分は今を壊したい。それが死に繋がろうが。

北が動けば世界が動く。日本も変わる。

めちゃくちゃ不謹慎なことは承知だ。だがこう考えてる哀れな日本人は結構いるんじゃなかろうか?外圧でしか変えられない現状に対し、何かを期待する。

情けない日本と自分。他国任せの未来像。

と同時に、北も消し飛ぶだろうが。シェルターごとぶっ飛ぶのかな?

寝起きの哲学

朝起きた時、色々と考えてしまう。

まだ生きてた、また会社か。

この感覚は多分生活が大きく変化しない限り変わらないだろう。生きている無気力からの解放か、そのタネが無くなるか。

生きている=生かされている、自分の意思ではなく、それが生きるということ。

違った観点からみる。もし、刑務所での刑期を受けたとする。数年間務所暮らし、自由ほとんどなし。でも会社からは解放され、そのほかのしがらみからも解放。言われるままの作業を黙々と行う。睡眠と食事は保証される。言われるいじめ的なものはないと仮定する。としたら、その時どう思うのだろう。自由を奪われた生。どういうストレスがかかるのだろうか?不自由に対するものか。でも言われた通り動いていれば、ある程度の自分の時間もあるようだし、もしかしたら今よりも生きやすいかもしれない。ただ生きるということだけを考えるならばだが。

自由がある代わりに、付随する生き苦しさ。果たしてどっちが楽なんだろう。

馬鹿らしい思考かな。