読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大人になりきれないおとなの日記みたいなもの

生き辛さや、その時感じた感情など、なかなか他人には言えない事をつらつらと書いていこうかなと。

今までの感想

いやいや、いくつか自分の記事を読み返してみたが、内容はだいたい同じものでその強弱で書いてる内容がほとんど。

要は、仕事辛い、お金は必要、生きる事の無意味さ。そんなところをつらつらと。

しかしながら、本当にそう感じてるし、書かなきゃやってられるかって感じだったのだ。どこかに小さくてもはけ口が必要なのだ。

みんな上記のような事は分かっていて、ある人は無視し、ある人はもがき、ある人は病み、生きているんだろう。

ほんと生きるって何なんだろうか。

自由のなのもとに全てが自己責任。失敗でもしようものなら…

だから、しょうがなく現状に甘んじつつ、我慢しながら生きているのだ。悲しいというか、ん〜、苦しい。生きる事は本当に苦しい。

池袋という街

自分は埼玉県人。埼玉県人ならわかると思うが池袋という街は少し甘酸っぱい街なのだ。

埼玉から東京に出てくるのに便利で、かつそれなりに都会という立地。とても居心地が良いところなのだ。

何故か最初に就職した場所も池袋だった。結婚後、よく利用したのもここ。よく歩いて帰ったものだ。

今ではあまり立ち寄らなくなったが、それでも時々飲みに行ったりすると懐かしさがある。自分的には好きな街。新宿ほど雑多ではなく、渋谷ほど若向きでもなく、丁度良い街というイメージ。飲み屋も沢山あるし、買い物も充実している。

飲み屋でよく行くのが秋吉という串焼き屋さん。ここは安くてどの支店よりも活気があってとても美味しく、お気に入りの飲み屋。

他にもロサ会館の近辺には沢山の店があるし、ラーメン激戦区でもある。

初めて感動したラーメンは東口の光麺だったな。懐かしい思い出だ。

今では、自分の知らない一面もあるのだろうが、それでも、思い入れの強い街である。

近々、飲みにでも行こう。

自己啓発

自己啓発関連の書籍やその他のメディア、世の中には沢山流通している。自分もいろいろ読んだり体験してみたが、どうにも身に付かない。でもそれは当たり前なのかもしれない。自己啓発に書かれている内容は頭では理解できるし、至極真っ当な事が書かれている事が多い。

では何故それを実践にうつせないのか?

自分の性格を自分の力で捻じ曲げるのはとても難しい事だからだ。結局のところ、心の悩みは同じ事柄が起こっても受け取る人によって感じ方や考え方が異なる。それはその人の性格によるところが大きい。性格とはつまり、事象に対する心の反応だ。何かが起こった時、Aという感情が起こり、それが自分を悩ませる事になる。つまり、考え方の集合体が性格と言い換えてもいいと思う。

これは長年自身で培ったものだからなかなかかえることは難しい。よく性格は変えられるというが、それはつまり、意識して考え方を変えていくということ。前述のAという考え方ではなく、意識的にBという風に考える訓練を地道に行なっていき自然とそれができるようになった時、性格が変わるのだ。

しかしながらこれはとても難しいだろう。頭では理解できても、心がついていかない。

結局はいつもの考え方に戻ってしまう。だからいつも同じことで悩み苦しむ。ではどうすれば少しでも悩みから解放されるのか?

受け入れるしかないのかなと思う。

結局はそれしかないだろう。またこう考えちゃったなと気付き、そこで諦める。でも、苦しくても、やるべきことはやらなければ終わらない。それが出来るか、もしくは逃げるかでその人の全てが決まると言ってもいいだろう。

性格は育った環境が大きい。親との関係、兄弟、友人、その他自分と接してきた人間関係。あとは持って生まれた資質。

働くようになると学力ではなく、コミュ力の大切さに気付かされる。これがないと頭が良かろうが何だろうが、人間関係が築けない。そういう人は社会人としては辛い思いをする。

日曜の夜の不安感

ま、ネットで検索すればいくらでもヒットする内容だろう。自分もほぼ同じ様なことを考えている。社会人なら会社に行きたくないと思うだろう。なぜなのか?それは会社という組織が自分に苦を与える場所だから。

しかし、行かないという選択は普通は出来ない。だから、みんな苦しんでいるのだろう。気持ちと行動が一致させられないから。

この、考え方は間違っているのだろうか?

会社が無ければ、労働の場所が無ければ大半の人は生きてはいけない。ということは、働かないという選択は普通はあり得ないわけだ。何らかの労働をしてお金を稼がなければ生きてはいけないから。そして、自分を含めた大半の人はおそらく今の職業は望んだ結果とは言い難い、もしくは労働そのものをしたくない。という考えなのではないだろうか?

要は楽をして暮らしたい、そういうことなのかな。簡単に言えば逃げだ。逃げたいんだこの現実から。

実際は、逃げるのはとても簡単だ。全てを投げ出せばいいだけだ。今の生活レベル全てを捨てればいいだけ。

しかし、そこでジレンマが起きる。今の生活は捨てられない。でも、労働からの苦しみは勘弁。という矛盾が頭の中で堂々巡りをする。それがとても苦しさをうむのだ。

多分、何らかの考え方の変化がなされない限り、死ぬまでこの苦しさは続くだろう。人間に生まれてきた苦しさの1つと言っていいかもしれない。

綺麗事はいくらでも言えるし、思いつく。でもそれは頭が作り出したもので、気持ちが納得いかないんだ。嫌なものは嫌なんだ。子供が学校に行きたくないと駄々をこねるのと大して変わらない。ただのバカだ。

この歳になってまで、いや、年を経たほうがもっと苦しさが増してくる。なぜこんなにまで人間は苦しみを背負わねばならないのか?

人間に生まれるというのは何かの罰なのだろうか?自分は神や仏の類は信じてはいないが、ただこの点に関しては、罰としか思えない。

他の動物だって、捕食しながら行きているという意味では、人間と大差ないのだろうか?

なら、何かしらに生まれてくるという事自体が何かの罰なのか?

生きるという事には何の意味もないはずだが、何故こんなに苦しいのだろう。そして苦しんだ先に待っているのは、「死」だ。

ほんとよく出来た罰だ。

人間

人間に生まれるということはもしかしたら、生物に生まれる中で一番のハズレくじじゃないだろうか?

どう考えても、ただの罰ゲームのような気がしてならない。一番は何にも生まれて来ないことが当たりなきがするが、とにかく人間は大外れもいいとこだ。まだ鳩やカラスの方がマシだと思う。そもそも発達した脳が邪魔だ。それゆえ様々な問題を自ら抱えてしまった。本能ではなく理性だったり、そういう逆に苦しさを得てしまった気がする。

人間とはなんなんだろうか?

結果として自分で自分を苦しめている生物とでもいう感じか。文明や文化などここまで高レベルなものは必要ないのでは?

アフリカの原住民の方がまだ幸せを感じながら生きているような気がする。

生きるため、金のため、人生を縛られて生きている現代人。哀れな生物。

三井寿

アマゾンプライムで、久しぶりにスラムダンクを見た。子供の頃、スラムダンク北斗の拳、キャブテン翼、ドラゴンボールとジャンプは一時代を確かに築いていた。

今はかなり販売部数も落ちているらしい。少し寂しい気持ちだ。

そのスラムダンク三井寿の有名なあのシーン。

「バスケがしたいです!」

本当に久しぶりに見た。そして久しぶりに感動の涙を流した。知っている人にだけ伝わればいい。あの頃を知っている人にしかわからないかもしれない。本当に熱かった漫画だった。

なんだろう、少し心のモヤモヤが晴れたような、スカッとした気持ちになった。

帰って寝るか

今日もお金のために働いた。最寄駅の近くの中華屋で食べて帰ってきたのが、0時40分。あとはシャワー浴びて寝るしかない。8時過ぎには会社にいることになる。なんなんだこの生活は?まさに社畜だ。仕事のために生きている。こんな生になんの意味もない。まさに無駄な生だ。会社なんてどうなったって知ったことではない。自分のまともな生活の方が何倍も大切なはずだ。なのになんなんだこの現実は?

日本は本当に狂っている。仕事ありきの人生。自分より会社なんて馬鹿げている。

こんな歯車になる為に自分は生まれてきたのか?情けない。本当に情けない限りだ。その生活を捨てる勇気も今の自分にはないし、こうやってぼやきながら死を待つのみの人生。

くだらない人生を送っているもんだ。

どうやったらこの生活し終止符を打てる?

仕事辞める?お金の流れ止まる。どっちも苦しいか。そうやってみんな我慢しながらほんの少しの慰みを得て生きている。

それでいいのか?

後悔しないか?